ひ ま わ り
  の 夢



 少しだけ昔の話、ずっと、ずっと西の方に、フリーデンベルクという、小さいけれどもとても住みよい村がありました。この村は小高い丘の上にあって、一面 ひまわりが咲いていました。このひまわりは、普通のひまわりに比べて育つのが難しい花でした。というのは、このひまわりには、水と土と光のほかにもうひとつ必要なものがあったからです。それは「夢」でした。育てる人は何でもいい、自分だけの夢を持っていなくてはいけないのです。でなければ、花はすぐにしぼんで枯れてしまうのでした。フリーデンベルクの人達はみんな、立派な揺るぎない夢を持っていましたので、花は枯れることなく、放っておいても育つのです。

 さて、村にはその年12になる、リーベという女の子がいました。活発で気立てがよく、村の誰からも愛されていました。ある日リーベは思い付きました。このひまわりを育てれば、村の人でなくとも夢が持てるのではないかしら。リーベは両親にこの思い付きを話しました。
「それはいい考えだわ」が、母さんの答えでした。でも父さんは、しばらくあごをひねってからおもむろにこう言いました。「それはどうかな」
「どうかなって、どういうこと?」
「あまり、賛成はできないね」父さんはハーブティーのカップをこころもち揺らしながら言いました。
「なぜ?」リーベは父さんの眼をじっと見つめて尋ねました。父さんは窓の外のひまわり畑に眼をやりながら言いました。
「あのひまわりはね、どんな小さな夢でも感じとって花を咲かせる。でも、ほんのちっぽけな夢をも持てずに、花を枯らしてしまった人には、とても危険なんだ。枯らすたびにその人は、ますます夢を持てなくなる。しまいには、夢も希望も近寄らなくなって、その人は生きる望みをなくしてしまうんだよ」
「まあ」母さんは驚いて言いました。「私、そんなことちっとも知らなかったわ」
「そりゃおまえ」父さんが答えました。「この村じゃ、そんな事あり得んからね」
結局リーベは、その考えを諦めなければなりませんでした。いい思い付きだと思ったのに…。

 その夜リーベは夢を見ました。南のアンクストという町で、リーベの持ち込んだひまわりが、とても喜ばれるという夢でした。リーベは夢の中で、確信しました。これはお日様の神様のお告げだと(フリーデンベルクでは皆お日様の神様を信じていたのです)。だから次の朝、リーベは目を覚まして決めました。やっぱりひまわりを人々に配ろうと。朝のお祈りと朝食が済むと、リーベは窓をいっぱいに開けてみました。どこまでも続く黄金色の地平線と青い空。出発にはうってつけの朝です。

 父さんと母さんが村の人達と一緒に畑に出てしまうと、リーベは納屋に行って、自分の小さなバスケットにいっぱいの、ひまわりの種を入れました。そして部屋に戻ると、麦穂色のボンネットを被り、麦穂色のスカーフを巻いて家を出ました。リーベはそんないで立ちでしたから、畑の村人達は、ひまわりの間を行くリーベの後ろ姿を見付け出すことはありませんでした。

 さて、ひまわりの海を泳いで村を出ると、畑の間の畦道をリーベは真っすぐ南へ向かいました。アンクストという町が実際にあることを、リーベは知っていましたから、ひとまずそこへ行ってみようと思ったのです。

 しばらく歩くと、森に差しかかりました。リーベは少し疲れていましたから、大きな樹の根元に腰を下ろして、幹にもたれて目を閉じました。すると何とも涼しげな風に乗って、何処からか微かなせせらぎが聞こえて来ました。リーベは目を開けて立ち上がると、辺りを見回しました。すると、少し先の方に細くて美しい小川を見付けました。リーベは嬉しくなって駆け寄り、手ですくって飲んでみました。とても冷たくておいしい水でした。だから、お弁当のパンとチーズはここで食べました。そしてここを出発するとき、納屋でひまわりの種をすくうのに使ったますに、その水を一杯すくって持って行きました。

 森を抜けると今度は、行く手を真横に線路が伸びていました。両端はそれぞれ左右の地平線の彼方に消えています。レールの表面 はピカピカなので、今でも列車はここを通っているのでしょう。リーベは思わず、大きな溜息をつきました。
「すごいなあ…」
ふと思い付き、リーベは線路に沿って五つ六つひまわりの種をまいてやりました。「これで汽車に乗った人達、夢を拾って行ってくれるかな」
そして先程小川から汲んだ水をそれぞれにそっとかけてやりました。
「でも…汽車で旅をする人なんて、もともと夢を持っているのかもね」

 さて、言い遅れましたが、この線路を越すとそこからアンクストに入ります。また畑が始まって、小さな家々がちらほら見え始めました。畦道を歩くリーベは、暫くして畑であくせくと働いている一人のおじさんを見付けました。リーベは早速駆け寄ると、声をかけてみました。
「ひまわりの種は要りませんか?おじさんの夢で花を咲かせるひまわりよ」
おじさんはちょっと手を休めてリーベを見上げると、またすぐにうつむいて仕事を続けました。そしておじさんの口から出た返事は、リーベの期待とは裏腹なものでした。「要らんよ」
「どうして?」
おじさんは手を止めず、面倒くさそうに答えました。
「要らんから要らんのさ。押し売りなら間に合ってる」
「押し売りじゃないわ、お金は要らないの。おじさんの夢で花が咲くなんて、素敵でしょ」
「わしに夢なんぞない」
おじさんのぶっきらぼうな答えにびっくりして立ち尽くしたリーベに、おじさんは畳み掛けるように言いました。
「さあお前さん。くだらんことを言ってないで、うちへ帰って親父さんの畑仕事でも手伝ったらどうかね」
にべもなく追い返されてしまいました。出鼻をくじかれた思いでとぼとぼと歩いていると、向こうの方からけたたましい馬車の轍が近づいて来ました。あわててわきへ避けると、乗っていたおばさんは、
「ほら、どいたどいた!ぼさーっとおしでないよ、まったく!」と叫んで、馬車は一散に遠ざかって行きました。リーベは呆然と、馬車が通 った後の土煙を眺めながら思いました。
「何故みんな、あんなにあくせくしてるのかしら…」
夕べの夢によれば、リーベはここで大変な歓迎を受けるはずなのでした。でもリーベの仕事はまだ始まったばかりです。気を取り直すと、また歩き始めました。

 歩いて行くうちに家の数はどんどん増えて、やがてこの町のマルクト(市場)広場にやって来ました。売り手はあちらこちらで大声を張り上げ、まるで喧嘩のような売り買いが忙しなく交わされていました。そんな光景を見ているうちに、リーベには段々と分かって来ました。あくせくしているのは先程の二人だけではなかったのです。この町では誰も彼もが忙しなく、ぶっきらぼうでした。でもそれなら、なおさらそんな人達には夢を持ってもらいたいと、リーベはここでまた、仕事を始めました。でも…。
「ひまわりの種はどう?あなたの夢で花が咲くんです」
「要らないよ」
「ひまわりの種はいかが?」
「商売の邪魔だ」
「ひまわりの種は…」
「あっちへ行っとくれ」…

 陽の傾く中、リーベは一人町の外れを歩いていました。そっけない人の態度とはこんなにも心を寒くするものでしょうか。疲れて、取り付く島もないまま歩いていましたが、そんな気持ちに追い打ちをかけるように急に空模様がおかしくなって来ました。ポツポツ降り出したかと思うと、たちまち大変な夕立になってしまいました。リーベは散々雨の中を走ったあげく、やっと、一軒の古びた家の前の大きな樹の下に雨宿りの場所を見付けました。乾いた土の上に座り込むと、たちまち後悔と絶望の黒雲がリーベの心を覆い始めました。リーベは虚ろな目でバスケットの中からひとつ種を取り出すと、何の気なしに雨の降る土の上にポンと放ってみました。種は見る見るうちに芽を出し、茎を伸ばして蕾をつけました。ところが、これから花が咲くという時になって突然、空気の抜ける風船のように見る間にしぼんでしまったのです。それを見てリーベは、はっと思い出しました。夕べの父さんの言葉です。
『あのひまわりはね、ほんのちっぽけな夢をも持てずに、花を枯らしてしまった人には、とても危険なんだ。枯らすたびにその人はますます夢を持てなくなる。しまいには、夢も希望も近寄らなくなって、その人は生きる望みをなくしてしまうんだよ』

 今一輪、リーベはひまわりを枯らしてしまいました。もう以前ほど明るくはなれない、それは自分でもよく分かりました。リーベは泣き出してしまいました。人に夢を与えることができないどころか、自分で花の副作用を被ってしまったのですから無理もありません。そうして樹の下で一人泣いていたリーベに影を落とす人がいました。
「おい」
リーベが顔を上げると、そこにはリーベより二つ三つ年上の少年が傘を差して立っていました。

 少年はラインハイトという名で、そこの家に一人で住んでいる十四の少年でした。少年は別 段親しげな様子も見せずに、窓辺のリーベに温かいミルクを入れてやりながら言いました。
「夢を肥料に咲くひまわりで、人に夢を持たせるだって?この町で、か」
リーベは頷いて、大きなカップを受け取りました。少年は少し離れてリーベを眺めていましたが、やがてぽつりと言いました。「この町では無理だ」
「何故?」リーベは顔を上げると少年の顔を見つめました。
「ここはそういう所だから」少年はリーベの視線から逃げるようにそっぽを向いて答えました。
「ここの人間見て、何か気が付かなかったか?」
「みんな…忙しそうだったわ」
リーベが答えると少年は頷いて、
「ここにいると誰でもああなっちまう。あくせくして、ぶっきらぼうになって」
「そして、忙しさの余り、夢なんて考えていられないのね」
「本当は忙しくなんかないんだ」
少年はリーベの言葉を遮るように言いました。
「町の人達みんな、自分が忙しいと思い込んでるだけなんだ。みんなそれに気付かずに、あくせくした生活を演じてるんだ。いやな町さ」
「あんたは」とリーベはそんな少年に言いました。「それなら何故、町を出ないの」
「この町を出るには、夢や希望が要る。汽車に乗るには切符が要るようにね。僕はこの町で生まれ育ったから、夢や希望を持つことなんて知らないんだ」

 二人とも暫く、何も言いませんでした。その間に夕立は止んだらしく、窓のひさしから最後の雫が落ちて、晴れた空に太陽は最後の光を投げかけました。
「お前」暫くして少年が口を開きました。「ここがそんな町だって知っても、まだその仕事続けるのか」
リーベは少し考えてから、きっぱりと言いました。
「それが私の夢なの、きっと」
少年は長い間じっとリーベを見つめていましたが、やがて立ち上がると、不意にリーベのバスケットからひまわりの種を一握りつかみ出しました。
「何をするの?」
リーベの問いには答えず、少年は部屋の窓を開けると庭一面に勢いよく種をまきました。
「あっ…!」
リーベは驚いて少年を見上げました。
「あんた…さっき夢を持つことなんて知らないって…」
「言った」
「あのひまわりは、夢がないと咲かないのよ。枯らせばその数だけ、あんたはもっと夢のない人になってしまうのよ」
「聞いたよ」
少年は落ち着いた瞳を、庭から、心配そうに自分を見上げる娘に移しました。
「…私、種を拾ってくるわ。芽を出さないうちに」
「いいんだ!」
庭に飛び出そうとするリーベの肩を押さえて、少年はもう一度言いました。
「いいんだ、そのままにしておいて」

 リーベは少年の心が分からないまま、台所へ戻る彼の背中をぼんやりと眺めていました。すると少年は、今度は全く関係ないことを言い始めました。
「お前、フリーデンベルクから来たって言ったな。あそこはとてもいいとこだって話だ。でも今から一人では帰れないだろ。今日はここに泊まって行け。二階に寝床の用意をしてやるよ」
リーベは心なしか、少年の中に灯が灯ったように感じていました。最初に会ったときは町の人と同様、あんなにぶっきらぼうだったのに、今二階へのはしごを上る少年の顔には愉快そうなほほ笑みさえ浮かんでいます。でもリーベには、その変化の訳は分かりませんでした。

 その夜、夕食を終えてリーベが二階のベッドで静かな寝息を立て始めてから、少年は床に就くまでずっと、庭を眺めていました。その横顔には、少年が生まれて今まで浮かべたことのない、力強い色が浮かんでいたのでした。

「リーベ!リーベ!」
次の朝一番、鶏のようにけたたましい少年の呼び声にリーベは、はっと目を覚ましました。窓からは気持ちのよい朝日がさんさんと差し込んで、今朝もいい天気のようです。リーベが急いではしごを降りてみると、少年はリーベを庭に面 した窓辺へと引っ張って行きました。そしてリーベが窓の外に見たのは──。

 ひまわりです。透き通った朝日を一身に浴びて元気に咲いている、いくつものひまわりです。リーベはゆっくりと少年を振り返りました。

 少年は照れ臭そうに笑って、鼻をこすっているだけでした。リーベは庭に出てひまわりの一つにゆっくり近寄ると、ふわりと優しく抱いてみました。そしてリーベの額がひまわりの花に触れたとき、リーベの心に一つの情景が浮かび上がりました。それは、フリーデンベルクの畑で麦ワラ帽子をかぶって元気に働いている少年の姿でした。そばにリーベもいます。そうです。これがリーベに出会って少年が抱いた、初めての夢でした。
「開け開け、夢のひまわり開け」
「咲け咲け、ひまわりの夢よ咲け!」
風を切って走る二人の声と共に、フリーデンベルクのひまわりの種はアンクストの町中に散らばりました。何かと思って顔を出した町の人々も、二人の元気な声に応えるようにあちこちで芽を出し始めたひまわりに、久しぶりに思わず顔をほころばせるのでした。

 町の北の外れに出た二人は、暫く肩で息を付きました。
「このひまわり達、きっとこの町の人達を幸せにするわね」
そう言ったリーベの顔も、太陽に照らされたひまわりのように輝いています。
「ああ」言葉少なに汗を拭う少年も、その顔は希望に満ち溢れていました。やがて二人はあの線路にやって来ました。そこでは、朝日に照らされた五本のひまわりが、二人にお早うを言うために元気よく並んで咲いていました。


fin.