「ただいま。お母さん、ふくちゃん帰ってきた?」
 お店に飛び込んでくるなり、ちずちゃんはカウンターの中のお母さんに大声でたずねました。お母さんはこわい顔をして、くちびるに人さし指をあてると言いました。
「お客さまがいらしてるでしょう?」
 ちずちゃんは、しまった、という顔をして声をひそめ、くり返します。
「ふくちゃん、帰ってきた?」
「まだよ」
すまし顔で、出ていくお客さまに「ありがとうございました」と頭を下げてから、お母さんはみじかく言いました。
 ちずちゃんのお母さんは、町のお洋服やさんではたらいています。今年の春から小学生になったちずちゃんは、だから、学校が終わるとだれもいないおうちには帰らず、まずはお店に顔を出すのです。
 一人っ子のちずちゃんには、おうちにあそび相手がいません。幼稚園のころは、よく「おとうとがほしい」とだだをこねていたのですが、ある時、お母さんが「むりを言わないで」と泣きそうな声で言ったので、ちずちゃんはびっくりしてしまいました。そして、もうけっして、おとうとがほしいなんて言わない、と心にきめたのです。
 はじめのころは、じゃまだから帰りなさい、としかっていたお母さんでしたが、お店の人たちが、いいよいいよ、と許してくれるので、最近ではちずちゃんも、まるで二つ目のおうちのように、ランドセルを背負ったままどうどうとお店に帰ってきます。
「ちずちゃん、おひとついかが?」
 なかよしのエビハラさんが、カウンターごしに小さなかごをさし出しました。ハート型のクッキーがひとつずつ紙にくるまれてこんもりと盛られたそのかごは、お客さまに自由につまんでもらおうと、ふだんはレジのわきにおいてあります。
 ちずちゃんはこのクッキーが大好きでした。思わず顔をほころばせて手をのばすと、
「なんて言うの?」
わきからお母さんが口をはさみました。
「ありがとう、いただきます」
かごの前で手を合わせ、ひとつつまんで包みをはがして口に入れました。甘いミルクのかおりが口いっぱいに広がって、ちずちゃんはたちまちしあわせな気持ちになります。
 けれど、ちずちゃんはまたすぐに思い出してしまうのです。このクッキーをさいしょにすすめてくれたのも、ふくちゃんでした。
 ふくちゃんは、お母さんより年下ですが、お店のいっさいをまかされた「えらい人」なのだそうです。お月さまのようにまん丸な顔と、ダルマさんのようにころころとした体が「まるで福の神みたい」と、みんなから「ふくちゃん」と呼ばれているのでした。
 お店には来ちゃだめ、というお母さんから、ちずちゃんをかばってくれたのも、やっぱりふくちゃんでした。
「なんど言ったらわかるの」
 ある時、お店に来たちずちゃんをお母さんはひどくしかりました。ちずちゃんは目に涙を浮かべてじっとうつむいていたのですが、とうとうがまんできずに、「あのことば」をさけんでしまったのです。
「だったら、おとうとをつくってよ」
お母さんがやっぱりかなしそうな顔をしてだまってしまった、そのときでした。
「ちずちゃん、お店に来てかまわないのよ」
大きくてあたたかな手をちずちゃんの肩にのせて言ったのが、ふくちゃんでした。
「そのかわり、お客さまがいらしているときは、おぎょうぎよく、いい子にしていてね」
 ちずちゃんは、そんなやさしいふくちゃんが、ハートのクッキーと同じくらい大好きでした。だから、ふくちゃんがお店にいないと思うと、ちずちゃんはもう、じっとしていられないほどにさみしいのです。
 口をもぐもぐさせながら、ちずちゃんはそっとじだんだをふみました。

 なつやすみが近づいたある日、ふくちゃんがちずちゃんに言いました。
「ちずちゃん、あたしね、あるものを取りにおうちへ帰らなくちゃいけないの。しばらくるすにするけど、きっとまた帰ってくるから、それまで待っててくれるかしら」
ちずちゃんは心配になってたずねました。
「おうちって、どこ?」
「ふくしまよ」
「いつ、帰ってくる?」
「そうね、木枯らしが吹くころかしら」
「何を取りに行くの?」
「きっと、ちずちゃんがよろこぶもの。でも、いまはまだ、ひみつ」
 ちずちゃんには、「ふくしま」がどこにあるのかも、木枯らしがいつ吹くのかもわかりませんでしたが、ふくちゃんがいなくなってしまうことだけはわかりました。
 行かないで──よっぽどそう言いたかったのですが、ふくちゃんの優しい目に見つめられたら、言葉は、しゅん、としぼんでしまったのです。
 だまってこっくりとうなずくちずちゃんを、ふくちゃんは柔らかなうでで抱きよせました。

 夜、お母さんとむかいあってお夕食を食べているときでした。
 お母さんが、ふいに言いました。
「ちず、おひっこししようか」
「おひっこし?」
「そう、おひっこし」
「どこに?」
おみそ汁のおわんをおいてちずちゃんがたずねると、お母さんが答えました。
「ながの。おじいちゃんやおばあちゃんといっしょに住むの。どう?」
 長野にはおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいます。ちずちゃんは毎年夏になると、お母さんといっしょに遊びに行って、みずうみでうち上げる大きな花火を見るのが楽しみでした。
 ちずちゃんは考えました。おじいちゃんやおばあちゃんといっしょにくらせるのはうれしいし、あのすてきな花火も、もしかしたら一年中見られるかも知れません。けれど。
「おひっこししたら、もうふくちゃんと会えないの?」
お母さんはじっとちずちゃんを見つめて、そうよ、とうなづきました。
 そのとたん、ちずちゃんはきっぱりと首をふりました。
「じゃ、やだ」
お母さんはしばらく考えて、言いました。
「そうね、お母さんも、やだな」

 そうしてふくちゃんの帰りを今日か明日かと待っていたちずちゃんのもとに、やがて一枚のハガキがとどきました。
 ふくちゃんからでした。
『ちずちゃんへ
 げんきでがっこうに行っていますか? きゅうしょくのおかずも、好ききらいを言わずに食べていますか?
 ふくしまには、早くも秋のあしおとがやって来ました。食よくの秋です。わたしもごはんをもりもり食べて、げんきもりもり。じゅんびばんたんで、今から「れいのもの」をとりに行きます。あとひと月くらいしたら、いちどお店に顔を出すつもり。
 ちずちゃんとまた会える日を楽しみにしています。
ふくちゃんより』
 次の日、ちずちゃんはハガキをお店のみんなに見せてあげました。
「へえ、ふくちゃんらしいですねえ」
「元気そうで、よかったわ」
手から手へと、ハガキがわたっていきます。
「ふくちゃん、何を取りに行くのかなあ」
レジのクッキーをかじりながらちずちゃんが首をかしげると、
「あれ、ちずちゃん、知らないのかい?」
みんなから「みっちゃん」と呼ばれている、若い男の店員さんが、たなのブラウスをたたみながら言いました。
「みっちゃん」
ずらりとコートがぶら下がったラックの向こうで、エビハラさんが目くばせしました。
「みっちゃん、知ってるの? おしえて!」
 ちずちゃんにたずねられて、みっちゃんは頭をかきながら目をそらして言いました。
「ええと……たしか山へ、しばを取りに行くんだったかな」

 ちずちゃんの住む町にも、ようやく秋がやってきました。
 はじめての運動会のかけっこで、一等賞になってもらった赤いリボンが、ちずちゃんの黄色いぼうしにゆれています。
 そして、そのリボンやぼうしと同じ色の葉っぱが町にまい始めるころ、ふくちゃんがお店に帰ってきました。
 学校から戻ったちずちゃんは、カウンターの奥にある店員さんたちの部屋に、なつかしいお月さまのような顔を見つけて、思わずさけびました。
「ふくちゃん!」
「ちず」
カウンターにいたお母さんが部屋をのぞきこみます。
 ちずちゃんは首をすくめてくちびるに人さし指をあてると、にこにこしているふくちゃんにそろりそろりと近づいて、ぎゅっ、とその首に抱きつきました。
「おかえりなさい、ふくちゃん」
「ただいま、ちずちゃん」ふくちゃんは優しくちずちゃんの腕をほどくと、「さあ、ちずちゃんがよろこぶもの、取ってきたわよ」
見ると、ふくちゃんのとなりでエビハラさんが、何かを抱っこしています。のぞき込んで、ちずちゃんは目を丸くしました。
「赤ちゃん……!」
 エビハラさんが、すやすやとねむる赤ちゃんの顔に頬を寄せて言いました。
「ボク、カオル。男の子だよ、よろしくネ」
 赤ちゃんを見つめるちずちゃんに、ふくちゃんは言いました。
「ちずちゃん、この子のお姉さんになってくれないかなあ」
ちずちゃんがびっくりして振り向くと、ふくちゃんがにっこり笑ってうなずきます。
「ちずちゃんの弟に、と思って、おなかの中から取ってきたんだけどな」
 ちずちゃんはもう一度、赤ちゃんをのぞき込みました。ふくちゃんによくにた、まん丸い顔。にぎりこぶしも、まるでおだんごのようです。
 その小さな手を、自分の手でそっと包んでみました。
「わたしの、おとうと」
 ちずちゃんはそうささやいて、ねむる赤ちゃんの顔にゆっくりと顔を近づけました。甘い、ミルクのにおい。
 あの、大好きなハートのクッキーと同じ、それはしあわせのにおいでした。


fin.