ジャングル・ジムの上に、今にも落ちそうな角度で小さな小屋が乗っていた。
 その子のお気に入りの家だった。
 その子はジャングル・ジムを気持ちよさそうにのぼって行く。小屋に入るにはさらに梯子をのぼらなければならない。その子はのぼる。いつの間にか、その子の背中には見えない羽根が生えている。その子は目をとじて笑いながら飛ぶ。近所の大人たちがいつもの様にその子に声をかける。子供はうたう、ラララ──

 世界は終わりに近づいていた。ゲリラは“世界の貯水池”の水門の爆破を企てた。僕もその一員だ。頭に手ぬ ぐいを巻きつけ、その上からてっぺんに大きな目のマークのついたヘルメットをかぶる。これがゲリラの印だ。計画は練られ、実行された。真夜中に何千人のゲリラが一堂に会し、水門が爆破されると、いっせいに裸足で坂を下った。
 僕には理由がわからなかった。どうしてこんなことをするのか。今や虚無がほとんどすべての人の心をその手中に収めていた。僕は恐ろしさに震えながら走り続けた。
 そのうち、僕は自分の心も虚無に犯されたのではないかという不安にかられ、足を止めた。
 その途端、服の背中をつかみ上げられ、ヘルメットの頭を棍棒で思いっきり殴られた。僕は転げながら、僕を殴ったすごい目をした男を見上げた。
「ぼやぼやせんと走らんかあっ」
「はいっ」僕は跳び起きると一目散に駆け出した。
 背後から、爆破されて滝のように溢れ出した貯水池の水が地響きのごとく迫ってくる。僕は無我夢中で坂を駈け降りた。
 下で、ゲリラを鎮圧しようとする武装した機動隊が待ち受けていた。
 僕は撃たれた。
 いっそこのまま死ねるのなら本望だった。でも、どういう訳か撃たれた傷は少しも痛まなかった。僕は何とはなしに死んだふりをして倒れていた。やがて僕の降りて来た坂から大勢のゲリラが“とき”の声を上げて駈け降りると四散し始めた。その中から一人、僕を呼ぶ声が聞こえた。僕は跳び起きて辺りを見回した。
「ここだ」
僕はしばらくその人の顔を見つめやっと思い出した。古い友人だった。
「思い出してくれたか?」彼は嬉しそうに言った。
 僕たちは共に駆け出した。僕はふと、彼が頭に手ぬぐいもヘルメットもつけていないことに気付いた。
「君はゲリラじゃないのか?」
「ああ。俺は誰の指示も受けない。俺は俺の意志で走る」彼は走りながら自信に満ちてそう叫んだ。
 そうだったのだ。虚無に犯された群衆と共に僕自身の意志を見失って理由も探さず凶行にはしる必要はないのだ。なぜ今まで気がつかなかったのだろう。そう思うと僕には彼がとても強く頼もしく見えた。
「一緒に走っていいか?」
「ああ勿論」
僕は感激して、ヘルメットを取り手ぬぐいを取って投げ捨てた。これで僕も自由、のはずだった。
 ところが、許可なくゲリラを脱退すれば、残された道は「ひとつ」だったのだ。背後には自我の崩壊した数千のゲリラたちが手に手に棍棒を振りかざして僕に襲いかかった。僕は彼の後を追って死に物狂いで走った。
 その時、とうとう“世界の貯水池”の水がすぐ背後まで追い付いた。荒れ狂った水は気の触れた大勢の人間たちを一口に飲み込んだ。もうだめかと思いながら、僕たちは坂をかけのぼった。
 やがて前方に、この上なく懐かしい“光”が満ち始めた。幼いころに見た、草の葉に照り返す昼下がりの陽の光に似ていた。無意識のうちに、そこが最終の地だとわかった。涙が流れた。僕たちは、その柔らかい光の中に飛び込んだ。

 草原の真ん中に大きなジャングル・ジムがあった。
 ジャングル・ジムの上には、今にも落ちそうな角度で小さな小屋が乗っていた。僕たちは、ジャングル・ジムを気持ちよくのぼって行った。僕たちの足からは血が滴り、体は汗と泥でぼろぼろだったけれど、これで終わりだ、これで本当に自由なんだ、という思いがはっきりと心を満たしていた。
 のぼるにつれて、僕たちの体はそれぞれ真っ白な一対の翼に変わっていた。これで終わりなんだね。ああ、なにもかもね。僕たちは寄り添うように羽ばたいて天空にのぼっていった。

 遥か上のほうで、あの子が、優しい目で僕たちを見つめていた。


fin.